秋彼岸会法要が勤まりました。
少しだけ過ごしやすくなった初秋の日。
約40名の方にお参りいただきました。
13時30分、読経。
皆さまと『仏説阿弥陀経』を勤めました。
有馬麻衣子 布教師(長崎・正覚寺)
講題「手を合わせるということ」
結婚を機縁にお寺へ入られた有馬麻衣子さん。
僧侶となって、思いがけない喜びや苦労があると話されます。
「僧侶になるってどんな感じ?」と、皆さま興味深く話に耳を傾けられていました。
二河白道にたとえられるように、この世から浄土へと自力でたどり着くのは難しい。仏を思い、仏の力によって救われていくしかないという、親鸞聖人のご和讃、
弘誓のちからをかぶらずば
いずれの時にか娑婆をいでん
仏恩ふかくおもいつつ
つねに弥陀を念ずべし
を引かれました。
仏の願いとは何か。
もし自分が死んだら、道で転んだわが子に手を貸して立ち上がらせることはできない。そこには「立ち上がってほしい」という願いしかない。仏の願いとは、この「どうか助かってほしい」ということではないかと話されました。
「手を合わせる」とは、先人が手を合わせて生きたその姿、またわたしに願いをかけてくださる仏さまに対して、おのずから手が合わさっていくことだと話されました。
はがみちこ師 布教使(京都・大学講師)
僧侶であり大学講師でもある、はがみちこさん。芸術家の支援もされており、各方面で活躍されています。
講題は「私はどこへ行くのか」
わたしたちは五濁といわれる苦しみの多い世界を生きている。
浄土へと往生することが唯一の救いであり、お彼岸は浄土を思うよい機縁であると話されます。
最近、ドラマやアニメにはタイムリープや異世界へ転生する物語が多い。そこには、私の居場所がここではない、どこかを望む現代人のこころが伺える。
またコロナ禍や戦争で浮かび上がってきたのは、地獄は人のこころのなかにあるということ。そんなわたしたちが、阿弥陀仏の願いによって、この身のまま救われるのが、浄土往生の道であると話されました。
混沌とする世の中、閉塞感のある社会を、僧侶としてどう考えていくのか、お話ししていただきました。
おふたりのご法話、大変、和やかな時間を持てました。
続きましてポヤポヤのおふたり。
そろって、情熱の赤シャツです。
タカちゃん。
澄んだ柔らかい声が、本堂に高く響きます。
大塚さん。
感情のこもった音色、メロディがこころを揺さぶります。
川柳では笑いが起き、
『ありがとう』では、人を想い、
『口笛吹いて』では、勇気が出ました。
芸術の秋へ、良いスタートが切れました。
廣田さまから、「日ごろなかなか言えなくて」の前振りの後、料理を作ってくれる台所スタッフへの労いの言葉をいただきました。
こちらこそ、お越しいただきありがとうございます!
乾杯!
ワイワイと賑やかな懇親会となりました(栃原)